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三留野宿 (みどのじゅく)

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三留野宿 (みどのじゅく) の位置

 三留野宿は、江戸より79里24町28間(312.9Km)、京都より56里9町3.8間(220.9Km)のところにあります。

 

 三留野宿(みどのじゅく)は、江戸時代の「宿駅」制定以前から、交通の要所として栄えてきました。「三留野(みどの)」とはちょっと聞きなれない名前ですが、これは、むかし、木曽地方を治めていた木曽氏(きそし)の屋敷があり、それが「御殿(みどの)」とよばれていたため、「みどの」になったといわれています。

 江戸幕府の道中奉行所が調査した、五街道とその脇街道の宿場の記録である「宿村大概帳(しゅくそんだいがいちょう) 」によりますと、天保14年(1843年)の三留野宿(みどのじゅく)の規模は、家数77軒(内訳は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒など)、人口594人で、木曽では中規模の宿場でした。

 ところが、(1881年)に起こった火事により、宿の建物が全焼してしまい、当時の建物はほとんど残っていない状況です。現在の建物は、それ以降に建てられたものです。

 

三留野宿 (みどのじゅく) の概要 

 南木曽駅から少し北寄りにある三留野宿。宿場はほとんど残っていないが、三留野宿本陣跡にある大きな枝垂れ梅の木は当時の面影を残している。明治時代の大火により、町の中心は駅周辺に移った。国道19号線沿いから木曽川をまたぐ大きな吊橋「桃介橋」は、「桃の橋」と呼ばれ、水力発電に力をそそいだ大同電力(現関西電力)社長福沢桃介が大正時代に架けた吊橋である。老朽化が進んだため近代化遺産として、近年修復作業をした。近くには福沢桃介記念館、読書(よみかき)発電所(国重要文化財)などがある。南木曽町は旧読書村で、読書のよみかきの名は、与川(よがわ)の[よ]  三留野(みどの)の[み]  柿其(かきぞれ)の[かき]  からつけられたという

 

 

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